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新聞記事、TV番組、ふと見かけた物など、書きたい時に書いています・・・・・・・・・。(特定サイトの宣伝、公序良俗に反する内容、ブログ記事に無関係な主張などのコメントは管理者の判断で削除致します。)
25 . November
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18 . March
大相撲3月場所が始まっています。
本日(3月18日)、4日目を終えて全勝は2横綱と入幕2場所目の”巨漢”山本山のみ。
大関は、
琴欧洲・・・・・2勝2敗
千代大海・・・1勝3敗
魁皇・・・・・・・3勝1敗
日馬富士・・・3勝1敗
琴光喜・・・・・2勝2敗
関脇、小結はすべて2勝2敗

というちょっと寂しい結果です。
2横綱が好調なだけに、上位陣にはがんばってほしいですね。

----------あらし
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13 . March
今回の未来創造堂は「着物の未来を切り拓いた男」久保田一竹(クボタイッチク)。
昭和12年、二十歳の頃に博物館で見た室町時代の絞り染めの技法「辻が花」を見て「いつか自分も・・・」と思ったとのこと。
辻が花の技法は江戸時代には廃れ継承されておらず試行錯誤で技術を再現しようとしました。
染料の原料、濃さ、乾燥の時間等々・・・・、400年の時を越える作品を作りだすためには長い年月を要しました。
久保田氏が納得する物が出来上がったのは60歳の頃。実に40年経って完成したわけです。

久保田氏は2003年に85歳で亡くなっていますが、久保田氏の作品は「一竹辻が花」として国内外で評価され、宝塚や能舞台でも採用されています。

久保田氏の信念、
「伝統は軽んじてはいけない。しかし、伝統に捕らわれてもいけない」
こうして新しい伝統が生まれていくのでしょうね。

彼の作品は、山梨県の久保田一竹美術館で見ることができるようです。
http://www.itchiku-tsujigahana.co.jp/index.html

----------あらし
07 . March
今回の未来創造堂は「昆布養殖の未来を切り拓いた男」。
南茅部の漁師吉村捨良氏と北海道水産研究所の長谷川由雄氏。
南茅部は函館の北東、亀田半島にある町でしたが、現在は合併により函館市になっています。
南茅部の真昆布は朝廷への献上品だったことから献上昆布とも呼ばれた最高級の昆布。
しかし、天然昆布の収穫は不安定でした。

何とか昆布を養殖できないものかと考えていた吉村氏は長谷川氏の研究に注目、吉村氏自ら養殖場を設計して昭和41年に養殖を始めました。

その日の天気と潮の流れを見て水深を変えるという地道な作業を続け、次第に周囲の仲間達も協力するようになりました。
その結果、天然物と遜色無い昆布ができ、昆布の養殖により生産量は4倍に増えたとのことです。

ネットで検索すると、吉村氏は若い頃、自分に何ができるかと全国各地を渡り歩き、旋盤工として川崎市で働いていた頃は研修講師の助手を務めるなど研究熱心だったとのことです。
そんな吉村氏は、昆布洗浄機や乾燥機などを発明し、昆布の大量生産に寄与したようです。

昆布の生産量はおそらく北海道が1位だと思いますが消費量は沖縄県が多いと聞いたことがあります。
まあ、どこで消費されてもいいんですけど・・・・。

昆布の「うまみ」成分を調味料にしたのが「味の素」です。
「うまみ」というのは日本独自の味覚だそうです。
たかが昆布、されど昆布・・・・・・でしょうか。

----------あらし
26 . February
報道によると、札幌市内の高校1年生が自宅で爆弾を作る準備をしてため、殺人予備の疑いで逮捕されたとのことです。

この生徒は、学校でいじめられたため、同級生を殺害する目的でインターネットで爆弾の作り方を知り材料を集めていたとのこと。

生徒の自宅からは、すりつぶした木炭、固形燃料、硫黄の粉末、ビーカーなどが押収されたということですが、どれも普通の人が購入できるものです。(おそらく他にも押収された物があったと思いますが、すべてを報道していないと思います。)

警察は、これらの材料を使って実際に殺傷能力がある爆弾を作ることが可能と判断したからこそ「殺人予備」で逮捕されたと考えます。

つまり、素人でも知識と材料があれば爆弾を作ることは不可能ではなく、その知識はインターネットから容易に入手可能であり、材料も簡単に購入できるという時代なのです。

インターネットは非常に便利なものですが、膨大な情報の中から自己責任で嘘や違法行為をふるいにかけることが必要だと思いますね。

----------あらし
24 . February
新聞報道によると、日本テレビのプロレス中継がこの3月をもって終了するとのことです。
現在放送しているのは日曜深夜の「プロレス・NOAH中継」。
地上波から撤退するもののCSでは引き続き放送するそうです。

日本テレビのプロレス中継は1954年から開始し、途中中断した期間があったものの半世紀以上にわたって続けられています。

馬場、猪木が全盛の頃はゴールデンタイムで放送していたことを覚えています。
プロレス好きの人はテレビの前から離れられない時間でした。

その頃は娯楽が少ない時代でしたのでテレビは「娯楽の王様」だったのではないでしょうか。
猪木のファイト、ファンク兄弟やマスカラスの華麗な技、ブッチャーやジンなどの悪役との対戦・・・・。
プロレスがショーであったとしても興奮したものです。

プロレス団体の分裂やK-1などの新しい格闘技の出現によってプロレスの人気は段々下火になってきたような気がします。

時代の流れ・・・・でしょうね。

----------あらし
20 . February
今回の未来創造堂は「電気カミソリの未来を切り拓いた男」
パナソニック電工の綿谷秀次(わたやひでじ)氏。

1930年代にアメリカのシックが水の無いところでも髭が剃れる電気カミソリを発売。
日本のメーカーは後発ですので、ブラウン,フィリップスといった専門メーカーに対するブランドイメージが低く、売り上げはいまいちだったとのことです。

電気カミソリの開発者達は、海外メーカーをあっと言わせる製品を・・・と考えていました。
そこに発想の転換のヒントを与えたのが創業者の松下幸之助氏。
幸之助氏は開発者が考えない奇妙な持ち方で電気カミソリを使用したため、「持ち方が違うんですけど・・」と言ったところ、幸之助氏は「お客様がどんな使い方をするかわからない。そこまで考えなさい。」と・・・。

開発者は”お客様はどんな使い方をするのか”を考えたところ、剃った髭を掃除するのが大変だということに気が付き、洗える電機カミソリの開発に着手。

防水の材質を試行錯誤した結果、昭和56年に世界初の水で洗える防水電気カミソリを発売。

綿谷氏の信念、
「対象物をとことん研究することから物作りがはじまる」
物作りのメーカーというのは、「最新技術」を追求することに走りがちなところがあると思います。
でも、最新技術イコールユーザーが受け入れる技術ではありません。
ユーザーが何を望んでいるのか、自分がユーザーだったらどうしてほしいのか。
そんなところからヒット商品が生まれるのでしょうね。

綿谷氏は今年2月定年退職を迎えましたが、その思想は後輩に受け継がれていることでしょう。


ちなみに、私は電気カミソリはブラウンの物を使っています。
専用の台に専用の洗浄剤(アルコール系)をセットしておけば台に差し込んでスイッチを入れるだけで洗浄と充電が出来る物です。
私の中では未だにブランドイメージが根強いようです・・・・・・(^_^;)

----------あらし
14 . February
今回は、フリーズドライの未来を切り拓いた男、天野肇氏(天野実業株式会社代表取締役社長)。
会社のHPによると、1940年天野辰雄氏が創業、1947年法人組織とし、カラメルの製造を開始、1957年に日本初のカラメルの粉末化に成功し、フリーズドライの可能性に着目したようです。
1982年に天野肇氏が社長に就任しています。

1972年の浅間山荘事件で警察官に喜ばれたカップラーメンの具材をフリーズ加工していました。
自分が関わった食品があんな現場でも役立つなんて・・・ フリーズドライの下請けもいいけど、自社でオリジナル商品を作れないか・・・・。

そこで、味噌汁のフリーズドライ化を手がけたわけです。
が、具材と汁を同時にフリーズドライ化するのは困難だったようです。
お湯を注げばかき混ぜなくても具材がふんわりでてくる味噌汁・・・そんな商品を目指していました。
最終的に、具材と汁を別に冷凍する方法を採用し、冷凍温度と時間の設定を試行錯誤し完成したとのことです。

が、「所詮はインスタント」という感が強く、売り上げは伸び悩んでいました。
1987年、女優の和泉雅子さんが北極点に向かった際、天野氏の味噌汁に心救われお礼の手紙を送ったことが転機になり認知(?)されるようになったとのことです。

カップラーメンをはじめ、スープ、甘酒などフリーズドライの技術が生かされています。
今では「所詮インスタント」ではありませんね。
お湯を注ぐだけで本格的な味を再現できる物が多いと思います。
保存食としても注目されいます。

フリーズドライ、恐るべし・・・・・(^_^;)

----------あらし
23 . January

今回の未来創造堂「日本の未来を切り拓いた男」は、たまねぎの皮むき機を開発した小林二郎氏。
元々「キッチンジロー」という洋食店を経営していた人ですが、たまねぎの皮むきを担当していたパートの人が次々と辞めて行ったことが開発の発端でした。

当時、外国製の皮むき機があったが、自分で作れるのではないかという発想から自宅で開発をはじめたとのことです。
しかし、薄皮を完全に取る方法や様々な大きさに対応できる方法などがネックになりました。

その後、圧縮空気を使う方法などを取り入れ、たまねぎ皮むき機「玉ジロー」が完成。
しかし、耐久性に問題がありユーザーからクレームが絶えなかったようです。

自宅を売却して6畳アパートに引越し、更に開発を進めた結果、2004年21号機としての完成を見ました。
その後、業者の改良によって世界中に普及しているとのことです。

インターネットで「小林二郎」を検索しても最初から本人の話題にヒットしませんが「玉ジロー」で検索すると沢山ヒットします。
小林氏は「玉ジロー」が世に知られただけで満足していると思います。

最後に、小林氏を支えた奥さんがいたからこそ「玉ジロー」が出来たのではないかと思います。

----------あらし

 

23 . January
「たけしの誰でもピカソ」を見ています。
今週は岩崎宏美/岩崎良美の姉妹がゲスト。

宏美さんは、日テレ系の「スター誕生」からデビューした歌手。
「花の中三トリオ」と同級生で同時期にデビューしています。
デビュー当時から歌唱力には定評があり、「天まで響け」というキャッチフレーズでデビューしています。
「二重奏(デュエット)」「ロマンス」などがヒットし、「思秋期」「聖母たちのララバイ」で単なるアイドルから聞かせる歌手への不動の地位を築いたと思います。

良美さんは宏美さんの3つ下の妹。TVドラマ「五代家の嫁」でデビューし、その後「赤と黒」で歌手デビュー。
「あなた色のマノン」を中心に新人賞などを受賞し、「タッチ」の大ヒットで歌手としての地位を築く。

今日の番組では、「岩崎宏美は2人いらない」と言われ、歌手としての活動に悩んだとのことです。
その後、歌手活動を休止してミュージカル、女優の道を選択しつつ最近は歌手活動にも復帰しているようです。

歌唱力には定評がある姉妹ですから、今日の放送を見て将来の由紀さおり/安田祥子を見たような気がします。いつまでも愛される歌手になってほしいですね。

ちなみに、宏美さんは「シンデレラハネムーン」はコンサートでは歌わないと聞いたことがあります。
物真似のコロッケが形態模写を始めてから、宏美さんがコンサートで歌うと会場からクスクスと笑い声が聞こえるようになったためのようです。

----------あらし
19 . January
今日、北海道(道央)では雨が降りました。
1月後半、冬の真っ只中だというのに・・・・・・・。

札幌の雪祭り会場では作りかけての雪像が崩れるおそれがあるので一時作業を中断したそうです。

なんだかなぁ・・・・・・・・

----------あらし
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