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新聞記事、TV番組、ふと見かけた物など、書きたい時に書いています・・・・・・・・・。(特定サイトの宣伝、公序良俗に反する内容、ブログ記事に無関係な主張などのコメントは管理者の判断で削除致します。)
09 . May
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20 . June
久し振りの「未来創造堂」の話題です。

今回は「精米の未来を切り拓いた男」佐竹利市氏&利彦氏親子。
米は稲から収穫しますが、元は殻が付いた「もみ」になります。
もみから殻を取り除くと「玄米」になり、玄米の表面の「ぬか」を除去して精米することにより「白米」になります。
古代から精米するためには玄米を「突く」ことによって行なってきました。
しかし、突くという技術は、ぬかを完全に除去できないことや米が砕けてしまうなどの不具合がありました。
そこで、利市氏は「削る」ということを考案し、研削式精米機を考案しまた。

この機械は世の中に普及しましたが、戦争を迎え、米の流通が途絶えてしまいます。
その後、利市氏の志を継承したのが息子の利彦氏。
研削式では3割の米を削ってしまうことに対して新しい技術を模索していたようです。

そこで考えたのが「摩擦式」と呼ばれる技術。
元々アメリカでコーヒー豆に皮を剥くために開発された技術でした。
しかし、摩擦熱によって味が落ちてしまう欠点がありましたが、風を送ることで解決。
「パールマスター」という商品名で全世界90%のシェアを誇るほどになりました。

私の実家は米を作っている農家ですが、「サタケ」というブランドには記憶がありますね。
もみの殻を取る機械(精米機と呼んでいたと記憶しています)が「サタケ」だったような気がします。

ネット上の情報によると、利彦氏は生涯千を超える特許を取得し、東京大学から農学博士号を授与されており、その論文は精米のバイブルとして全世界で参考書とされているとのこと。

「サタケ」は、その後利彦氏の一人娘である利子氏の旦那さんの覚氏が引き継ぎました。
覚氏は抜群の経営センスとダイナミックな発想を持っていたそうで、利子氏曰く「祖父が種をまき、父が育て、主人がグローバル企業に発展させてくれた」とのことです。

覚氏の急逝後利子氏が引き継ぎ、現在は佐竹利子氏が「サタケ」の代表になっています。
意外と知られていないグローバルな企業だと思います。

----------あらし
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18 . April
今回の未来創造堂は「活魚の未来を切り拓いた男」卜部俊郎(ウラベトシロウ)氏。
大分市で大工として生活していた彼は、いけすの施工を頼まれ、「こんな何十年も変わっていない世界がこの世の中にあったのか」という衝撃を覚えたとのこと。
採れた魚は死んだ状態で流通する。これは江戸時代からのやりかたでした。
しかし、魚は死んだ瞬間から腐敗が始まり、特に大分の名産であるサバ(関サバ)は腐敗速度が速い。

大きな水槽を積んだ活魚車で輸送するという方法もありましたが、水槽の大きさに比べて輸送できる魚の量が少なく、ストレスにより身が痩せてしまうという欠点がりました。
このため、新鮮な関サバを届けるのは大阪までが限度、卜部氏は、なんとかして東京に新鮮なサバを届けられないかと考えました。

彼が考えたのは、針で魚を眠らせて運ぶという方法。
大工を辞めて2年に及ぶ研究の結果、その方法を発見しました。
その後も、輸送中の振動で起きてしまわないかなどの実験を繰り返し、ついに魚を眠らせて東京へ空輸することに成功しました。
更に、通常の活魚はさばく時に暴れるため生臭さを招く乳酸が発生するが、眠った魚には乳酸が発生しないという発見もありました。

彼の方法は海外にも進出し、イカなど他の魚介類にも適用されています。

彼の信念、
「誰もやろうとしなかったことにこそ挑戦する価値がある」

おそらく学問的な裏付けが無く、経験,実験だけで魚の「ツボ」を探し当てたわけです。
「誰もやろうとしなかったこと」は「不可能なこと」と「困難ではあるが可能なこと」があると思います。
どちらなのか見極める眼力が必要でしょうね。

----------あらし
04 . April
今回の未来創造堂は「キッチンシンクの未来を切り拓いた男」INAX研究員の三浦正嗣氏。
シンクの素材として、汚れを寄せ付けないものは無いか?
そういった疑問から、蓮の葉、卵の殻、ゴキブリに至るまで研究したが決定的な素材には至りませんでした。
ある日、友人との雑談の中で、「かたつむりっていつもピカピカだよな」という言葉からヒントを得てかたつむりの殻の表面がシリカで覆われていることを発見。
硬くて傷がつきにくいセラミックにシリカを混合することによって新しい素材を開発しました。
割れやすいセラミックをどのようにして耐久性のある素材にしたのかなどは紹介されていませんので、そのへんは企業秘密なのでしょうね。

三浦氏の信念、「ものづくりはありとあらゆるものの観察から始まる」
新しい物を開発するためには世の中のあらゆる物からヒントを得る必要があるのでしょうね。
ただ、そこにはセンスやヒラメキといった能力が必要だと思いますが・・・・。

----------あらし
28 . March
今回の未来創造堂は「抹茶の未来を切り拓いた男」杉田芳男氏。
愛知県の創業120年の抹茶メーカー「あいや」の4代目です。

1970年代にかき氷やアイスクリームに「抹茶味」が登場しましたが、それらは着色料を使ったもので本物の抹茶ではありませんでした。
杉田氏は、「買って頂くお客様は抹茶についてはアマチュアである。我々は抹茶のプロ、プロがアマチュアを騙してはいけない」という思いがあり食品メーカーに本物の抹茶を使うことを提案しました。
が、雑菌が多くて使えないと言われて挫折・・・。
雑菌は60度以上の温度で死滅するのでお茶で飲むのであれば問題ないが、生で食べるとなると問題があったわけです。

プライドが高い茶業界は「お茶を食品添加物に使うなんて・・・」と批判的だったようですが、その逆風にかえって奮起したようです。
社運を掛けて研究設備を作り食べられる抹茶の開発に成功しましたが、これだけでは満足しませんでした。

次に、お茶の有機栽培に挑戦しました。
山奥の気温が低い場所に茶畑を作ることに決め、低温でも育つ苗自体の開発に乗り出しました。
構想から10年、安心で安全な食べられる抹茶が完成しました。
今では世界中で「MATCHA」として広まっています。

杉田氏の、
「プロがアマチュアを騙してはいけない。物作りを本当にする人は偽装はしないと思うんですよね」
という言葉と、最後にニコッと微笑んだときに歯が少し緑色だったのが印象的でした。

----------あらし
13 . March
今回の未来創造堂は「着物の未来を切り拓いた男」久保田一竹(クボタイッチク)。
昭和12年、二十歳の頃に博物館で見た室町時代の絞り染めの技法「辻が花」を見て「いつか自分も・・・」と思ったとのこと。
辻が花の技法は江戸時代には廃れ継承されておらず試行錯誤で技術を再現しようとしました。
染料の原料、濃さ、乾燥の時間等々・・・・、400年の時を越える作品を作りだすためには長い年月を要しました。
久保田氏が納得する物が出来上がったのは60歳の頃。実に40年経って完成したわけです。

久保田氏は2003年に85歳で亡くなっていますが、久保田氏の作品は「一竹辻が花」として国内外で評価され、宝塚や能舞台でも採用されています。

久保田氏の信念、
「伝統は軽んじてはいけない。しかし、伝統に捕らわれてもいけない」
こうして新しい伝統が生まれていくのでしょうね。

彼の作品は、山梨県の久保田一竹美術館で見ることができるようです。
http://www.itchiku-tsujigahana.co.jp/index.html

----------あらし
07 . March
今回の未来創造堂は「昆布養殖の未来を切り拓いた男」。
南茅部の漁師吉村捨良氏と北海道水産研究所の長谷川由雄氏。
南茅部は函館の北東、亀田半島にある町でしたが、現在は合併により函館市になっています。
南茅部の真昆布は朝廷への献上品だったことから献上昆布とも呼ばれた最高級の昆布。
しかし、天然昆布の収穫は不安定でした。

何とか昆布を養殖できないものかと考えていた吉村氏は長谷川氏の研究に注目、吉村氏自ら養殖場を設計して昭和41年に養殖を始めました。

その日の天気と潮の流れを見て水深を変えるという地道な作業を続け、次第に周囲の仲間達も協力するようになりました。
その結果、天然物と遜色無い昆布ができ、昆布の養殖により生産量は4倍に増えたとのことです。

ネットで検索すると、吉村氏は若い頃、自分に何ができるかと全国各地を渡り歩き、旋盤工として川崎市で働いていた頃は研修講師の助手を務めるなど研究熱心だったとのことです。
そんな吉村氏は、昆布洗浄機や乾燥機などを発明し、昆布の大量生産に寄与したようです。

昆布の生産量はおそらく北海道が1位だと思いますが消費量は沖縄県が多いと聞いたことがあります。
まあ、どこで消費されてもいいんですけど・・・・。

昆布の「うまみ」成分を調味料にしたのが「味の素」です。
「うまみ」というのは日本独自の味覚だそうです。
たかが昆布、されど昆布・・・・・・でしょうか。

----------あらし
20 . February
今回の未来創造堂は「電気カミソリの未来を切り拓いた男」
パナソニック電工の綿谷秀次(わたやひでじ)氏。

1930年代にアメリカのシックが水の無いところでも髭が剃れる電気カミソリを発売。
日本のメーカーは後発ですので、ブラウン,フィリップスといった専門メーカーに対するブランドイメージが低く、売り上げはいまいちだったとのことです。

電気カミソリの開発者達は、海外メーカーをあっと言わせる製品を・・・と考えていました。
そこに発想の転換のヒントを与えたのが創業者の松下幸之助氏。
幸之助氏は開発者が考えない奇妙な持ち方で電気カミソリを使用したため、「持ち方が違うんですけど・・」と言ったところ、幸之助氏は「お客様がどんな使い方をするかわからない。そこまで考えなさい。」と・・・。

開発者は”お客様はどんな使い方をするのか”を考えたところ、剃った髭を掃除するのが大変だということに気が付き、洗える電機カミソリの開発に着手。

防水の材質を試行錯誤した結果、昭和56年に世界初の水で洗える防水電気カミソリを発売。

綿谷氏の信念、
「対象物をとことん研究することから物作りがはじまる」
物作りのメーカーというのは、「最新技術」を追求することに走りがちなところがあると思います。
でも、最新技術イコールユーザーが受け入れる技術ではありません。
ユーザーが何を望んでいるのか、自分がユーザーだったらどうしてほしいのか。
そんなところからヒット商品が生まれるのでしょうね。

綿谷氏は今年2月定年退職を迎えましたが、その思想は後輩に受け継がれていることでしょう。


ちなみに、私は電気カミソリはブラウンの物を使っています。
専用の台に専用の洗浄剤(アルコール系)をセットしておけば台に差し込んでスイッチを入れるだけで洗浄と充電が出来る物です。
私の中では未だにブランドイメージが根強いようです・・・・・・(^_^;)

----------あらし
14 . February
今回は、フリーズドライの未来を切り拓いた男、天野肇氏(天野実業株式会社代表取締役社長)。
会社のHPによると、1940年天野辰雄氏が創業、1947年法人組織とし、カラメルの製造を開始、1957年に日本初のカラメルの粉末化に成功し、フリーズドライの可能性に着目したようです。
1982年に天野肇氏が社長に就任しています。

1972年の浅間山荘事件で警察官に喜ばれたカップラーメンの具材をフリーズ加工していました。
自分が関わった食品があんな現場でも役立つなんて・・・ フリーズドライの下請けもいいけど、自社でオリジナル商品を作れないか・・・・。

そこで、味噌汁のフリーズドライ化を手がけたわけです。
が、具材と汁を同時にフリーズドライ化するのは困難だったようです。
お湯を注げばかき混ぜなくても具材がふんわりでてくる味噌汁・・・そんな商品を目指していました。
最終的に、具材と汁を別に冷凍する方法を採用し、冷凍温度と時間の設定を試行錯誤し完成したとのことです。

が、「所詮はインスタント」という感が強く、売り上げは伸び悩んでいました。
1987年、女優の和泉雅子さんが北極点に向かった際、天野氏の味噌汁に心救われお礼の手紙を送ったことが転機になり認知(?)されるようになったとのことです。

カップラーメンをはじめ、スープ、甘酒などフリーズドライの技術が生かされています。
今では「所詮インスタント」ではありませんね。
お湯を注ぐだけで本格的な味を再現できる物が多いと思います。
保存食としても注目されいます。

フリーズドライ、恐るべし・・・・・(^_^;)

----------あらし
23 . January

今回の未来創造堂「日本の未来を切り拓いた男」は、たまねぎの皮むき機を開発した小林二郎氏。
元々「キッチンジロー」という洋食店を経営していた人ですが、たまねぎの皮むきを担当していたパートの人が次々と辞めて行ったことが開発の発端でした。

当時、外国製の皮むき機があったが、自分で作れるのではないかという発想から自宅で開発をはじめたとのことです。
しかし、薄皮を完全に取る方法や様々な大きさに対応できる方法などがネックになりました。

その後、圧縮空気を使う方法などを取り入れ、たまねぎ皮むき機「玉ジロー」が完成。
しかし、耐久性に問題がありユーザーからクレームが絶えなかったようです。

自宅を売却して6畳アパートに引越し、更に開発を進めた結果、2004年21号機としての完成を見ました。
その後、業者の改良によって世界中に普及しているとのことです。

インターネットで「小林二郎」を検索しても最初から本人の話題にヒットしませんが「玉ジロー」で検索すると沢山ヒットします。
小林氏は「玉ジロー」が世に知られただけで満足していると思います。

最後に、小林氏を支えた奥さんがいたからこそ「玉ジロー」が出来たのではないかと思います。

----------あらし

 

10 . January
本日の「日本の未来を切り拓いた男」は、日本地下開発会長の桂木公平氏。

積雪地で雪を消す技術である「無散水消雪システム」を開発した人です。
雪を消すためには、散水や電熱線などの技術がありますが、このシステムは年間を通じて温度が安定している地下水を利用したもの。
地下水を散水すると、アスファルト道路では排水溝に流れて行くのため地下水が減る一方で枯渇のおそれがあった。このため、道路下にパイプを埋め込み地下水を循環させる方式を考案。
しかし、実験では道路表面温度が1℃にしかならず、山形市役所に掛け合っても採用されず、自費でシステムを設置することで許可され設置したところ、効果があり、その後各地で採用されたとのこと。

北海道では散水すると道路がスケートリンクになってしまいますので、電熱線を通したロードヒーティングが一般的だと思っていましたが、このシステムを使っている所もあるのでしょうかね?

地下水を循環させる・・・・考えてみれば理にかなった技術だと思いますが、最初に実用化したところが目の付け所が違うのでしょうね。

昨夜は冷え込んで今朝トイレの水が出なくなりました。
タンクの入り口が凍り付いていただけなので、ポータブルヒーターを設置して解消しました。
寒冷地は苦労します・・・・・・・・・・

----------あらし
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